ワークシヨップを終えて

今回のワークショップを終えて、色々考えてみました。

今年の9月、今回の企画立案者Vassilis Boutos氏の友人で、たまたま来日していた、ギリシャのドキュメンタリー監督、Panayotis Evangelidis氏とこのワークショップに関して、話す事になりました。
氏は15年ほど前に数年間、日本に住んでいた事があり、かなり日本語ができます。おかげで、私の貧困な英語を使わずに話すことができました。

 

まず、はじめにカヴァフィの詩には、いくつかの特徴があります。
古代ギリシャ、古代ローマの史実を、あたかも今体験しているかのように詠ったもの、100年前のギリシャの日常を描いたもの、そして性を題材にしたものです。


特に私は、同性愛者であったカヴァフィスの性表現が、印象的に感じました。

そこで、わたしは、カヴァフィスの性表現にフォーカスして、生徒たちのワークショップ作品を考えてみようと思います。

 

ワークショップを始めた際、私と20歳以上離れた生徒たちが、これらのセクシャルな詩にどうアプローチするのかを密かに期待していました。


しかし結果、ほとんどの生徒が、セクシャルな詩を選びませんでした。

選んだ数人の生徒も、きれいに性表現を避けていました。

 

『街路にて』『古書の中にて』というそれぞれの詩には、共にセクシャルな少年が書かれています。 しかし、この詩を選んだ生徒は共に、セクシャルでなく、健康的で無垢な少年をアニメーションの中に描きました。

 

また『Halation』という作品では、作者は、この詩集の随所に現れる性的な表現に拒絶感を抱き、個別の詩についてではなく、この詩集全体を読んだ時のショックをアニメーションにしました。

 

なぜ生徒たちは、それら性表現を避けたのでしょうか?

 

勿論、その手のトピックが嫌いな人もいるでしょう。

前述のPanayotis氏に、この傾向を話すと非常に興味を持ちました。

「なんで? 働き過ぎ?」

 

 

ここからは、あくまでも私の推論です。

まず理由の一つとして、このワークショップが授業の中で、行われたものだからかもしれません。

 

思い起こせば、日本の学校教育では、性表現、性教育を巧みに避けます。

家庭においてもです。恥ずかしさ、後ろめたさを感じるからでしょう。

 

学校教育における「性」とは、性教育、つまり生殖、健康、医療というサイエンスが主です。国語の授業でも、恋愛の話や、母の乳房くらいの単語はなんとか目に出来ますが、カヴァフィのような直接的、情欲的な詩を読むことはまずなかったはずです。

日本の性教育においては、ギリシャ彫刻や、ミケランジェロの絵画ですら性表現に近いと言っても、過言ではないと思います。

 

個人的な経験ですが、高校の美術部で、乳房丸出しの石膏像を、当たり前のように描き始めた時の違和感が、今でも強く印象に残っています。

しかも、巧みに避けていたものを、突然高級で尊いものと扱いはじめる違和感。

これがヨーロッパ、ルネッサンス的価値観なのかと当時から、カルチャーショックを感じていた気がします。

 

もちろん、日本にも、えぐい性愛や同性愛を扱った詩や文学は山ほどあります。

 

しかし、今回、カヴァフィの詩がギリシャで、よく読まれているという事実は、非常に文化が違うと気付かされました。 ただ、 彼の詩は全てが性的なものではありません。

※Panayotis氏によると『ろうそく』は、ほとんどのギリシャ人が知っている詩だそうです。ただ、この詩は性表現はありません。

 

 

やはり、日本で「性」は隠されがちだと思います。

そして、エロティックな表現は、B級なポルノであると見なされる傾向が強い気がします。 世界的にも評価の高い浮世絵の春画でさえ、未だにオープンにされることは憚れます。

※ちょうど今年の10月から、大英博物館での春画展が行われています。今のところ、日本の美術館で巡回展に手を上げるところはないそうです。

 

極端に言えば、日本では、性に関して、「アカデミックな学問」と「ポルノ」に二極化しているのではないでしょうか。 科学かリビドーかという二択です。

当然そのような背景では、性表現を考えることすら難しく、従って避ける傾向になると思います。 日本において、ヌーディストビーチが日本に存在しないことも象徴的なことです。

 

私的には、このワークショップで、性表現のグラデーション、0か1かでなく、非常に幅広い濃度の存在を認識出来ました。

※性に関してのアンケートがデュレックス社からレポートされており、年間のSEX回数(2005年発表)に関して、ギリシャが1位、日本は最下位23位という結果があります。今回の考察と関連して非常に興味深いレポートです。

 

 

また、私の授業を受けた生徒の多くは、コマーシャルデザイン分野を目指しているはずです。(そういう学科ですから)

CM、企業向け印刷物、商用ウェブ、ゲーム、劇場公開映画など、商業的な分野では暴力、不快な表現、過度に性的な内容をとても嫌います。

その分野を目指しているが故、生徒達は性表現だけでなく、コマーシャル的なタブーにも、気づかないうちに囚われている傾向があるのではないでしょうか。

 

結局、生徒も、教師も、プロもアマチュアも関係なく、自分自身によって、気付かずに表現を規制しているのではないでしょうか。

TPOに合わせて表現することは必要です。

しかし、無意識に設けている制限を外し、自由に考えさせる事が教師として、ワークショップの機能として大切なのかもしれません。

 

 

そして、今回は性表現という少し偏った考察でしたが、多分こういった、考え方の違いを発見し、認識し合う事が、いわゆる国際交流なのだと私は思います。

 

 

この機会を与えて頂いた、今年150歳のC.P. Cavafy氏、根気よく付き合って頂いたVassilis Boutos氏、忙しい日本滞在の中に時間を割いて頂いたPanayotis Evangelidis 氏に感謝いたします。

また今回、『カヴァフィス全詩集』邦訳の展示、ウェブ掲載を許可して頂いた、翻訳者の中井久夫様、みすず書房出版部 石神 純子様、ワークショップに協力、助言を頂いた武蔵野美術大学 新島 実主任教授、西本 企良教授、そして人によっては、9月の終わりまでズルズルと課題に付き合って21名の受講生(2名脱落)の皆さんに、心より感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

2013年11月15日 ダイノ サトウ

 

※本来、アテネでの展示会は11月1日からを予定していましたが、会場の設備工事が予定外にズルズルと長引き、11月23日からとなりました。これも国際経験ということで。。。。